【座談会レポート】都市のみどりを考える ~コロナ後の都市のみどりを巡って ~

【レポート】<座談会>都市のみどりを考える 〜コロナ後の都市のみどりを巡って

私たちの身近にある「都市のみどり」は、コロナ禍を経てどのように変化しているのでしょうか。都市の自然を研究していらっしゃる先生方とご一緒に、都市のみどりの「今」と「これから」について語り合いました。

<公益財団法人日本花の会発行「花の友」2023年秋号掲載内容をもとにWEB版として加筆>

 

【座談会出席者】

品田    穣氏(「春の小川を守る会」名誉会長)

山崎 嵩拓氏(東京大学総括プロジェクト機構特任講師)

飯田 晶子氏(東京大学大学院工学系研究科特任講師)

佐藤 留美(Green Connection TOKYO代表理事

 

人間と自然のかかわり

佐藤 品田先生はとても早い段階から都市の自然を「人と自然のかかわり」という観点で研究されて来たパイオニアです。ご著書『都市の自然史—人間と自然のかかわり合い』(中公新書)は1974年の刊行以来、半世紀経った今もなお、非常に多くの示唆に富んでいます。先生は現在の東京都中野区のお生まれですね。

品田 戸籍謄本には「東京府下豊多摩郡野方町大字上鷺宮生れ」とあります。野方という文字通り、野原のあるまちで、麦畑と農家の屋敷林が点在する農村部で育ちました。自然が好きで、物心ついてから数十年間、人間と自然のかかわりを見つめています。

佐藤 山崎先生と飯田先生はそもそもなぜこういう分野の研究に興味を持たれたのでしょうか。小さい頃からの体験なども含めて教えていただけますか?

山崎 私は北海道苫小牧市生まれの札幌育ちで、国立公園やスキー場などの大きな自然が身近にある環境でした。学生時代に建築やまちづくりに興味を持つようになり、特に風景、公園、生きものといったランドスケープ分野について幅広く関心を持ちながら研究をしています。

飯田 私は東京都文京区生まれで、6歳からは武蔵野市で育ちました。自然の遊びが得意だった父の影響で、善福寺公園や井の頭公園でザリガニ獲りをしたり、野川公園でスッポン、ナマズ、アオダイショウを獲って家で飼ったり、都会ながらも自然に溢れた環境でしたね。学生時代は東京から逃避して、一時はパラオ共和国の自然共生型社会を研究していましたが、東京に戻ってみると、江戸時代から続く農地や自然がまだ残されていることに気づいたんです。そうした都市の自然の価値や保全手法について研究しています。

佐藤 山崎先生と飯田先生はご夫婦なんですよね。

飯田 都市の自然について一緒に研究している、ちょっと変わった夫婦です(笑)。

佐藤 私は宮城県仙台市の国分町という城下町で育ちました。実家が材木店だったので丸太や製材された木に囲まれ、虫や自然が大好きでしたね。大

学で上京して東京に意外なほどみどりが多いことに驚いたんですが、そのみどりも姿を消していって。身近なみどりの価値をどう見出していけるのかを考えるうちに、人間と自然のかかわりの歴史の中で育まれた風土、地域性が最も大事なのだと気づきました。想いを同じくする仲間と一緒に人とみどりを繋ぐ活動を始めたんですが、その拠りどころとなったのが品田先生のご著書の数々です。人とのかかわりから自然や風景、生きもののあり方を考える「文明の生態学」とも言うべき品田先生の視点は、非常に先駆的でした。

山崎 科学と文化を融合させた研究を半世紀も前からなさっていたということが衝撃的です。

 

コロナ禍で求めた自然

佐藤 皆さんのご研究やご関心から、このコロナ禍をどのように捉えていますか。

品田 近年都市の過密化は進む一方で、いつか破綻するだろうと思っていました。コロナを契機に顕在化した問題はさまざまあると思います。私は近所の小さな公園を毎日観察していましたが、コロナ禍で、それまではほとんどいなかった利用者が急激に増えました。1.5haの公園に50人以上と、かなりの過密状態です。そのうち公園にテントを張って個人的空間を作り始め、やがて子どもが遊んでいたボールがテントにぶつかるといったトラブルが見られるようになった。一定の空間の中で個人個人が利益を貪り出すと破綻するという「コモンズの悲劇」が、コロナを契機に密度が高くなった都市のみどりの中にも起きていると思いました。

佐藤 私たちが管理している公園でもコロナ禍初期にはトラブルが増えました。密度が増えたことと、普段公園に来ない人たちが公園のルールやマナーを知らないために、注意した人とトラブルになってしまったり。でも1カ月くらいすると利用者の間にルールが浸透するようになって、落ち着いて来ました。「コモンズの悲劇」も起こりますが、人間はバランスを取るものだなと思いましたね。

品田 昔はその場所を利用する人同士でルールを作って、お互いの利益の相剋をうまく補っていたんですよね。

佐藤 村には掟(おきて)があって、それを守ることで共同体の暮らしを守っていたのでしょうね。またコロナ禍をきっかけに、自分たちの身近に公園のようなオープンスペースがあることの大切さや価値を、改めて認識した方々も多かったのではないかと思います。

品田 近所の園芸店では、コロナ禍に花を買う人が増えました。これも外出を制限された代わりに起きた現象の一つですね。

飯田 それはデータがあります。コロナ禍の東京都中央卸売市場のマーケットで、緊急事態宣言が発令される度に、観葉植物の取り扱いが前年と比べてグンと伸びていました。

品田 やはりそうですか。私が人間と自然のかかわりについて研究してきた中で気づいたのは、「自然がなくなればなくなるほど、人は自然を求める」ということです。自然と人間の間には相関があり、居住地の人口密度が増えるに従って、身近なみどりの環境は悪化します。すると散歩する、日帰りで外出する、泊まりがけで出かける、などの行動が増えていく。花を買ったり、園芸などの需要がコロナ禍で増えたのも、遠出できない閉塞感に伴う代償行動の一つだと思います。

 

 

働く人とみどりの関係

山崎 研究者として、都市の自然と人間の関係を考える上で、コロナ禍は転換点になりました。私たちは最初の緊急事態宣言が明けた2020年6月に、人々の行動や生活を調査しました。在宅勤務が急増し、働く人のライフスタイルが大きく変わった時期です。その結果、在宅勤務者は、コロナ禍で新たにみどりに触れるようになった人が多いことがわかりました。面白かったのは、中でも神社やお寺をよく利用していたということです。

飯田 実際に近所の神社では、一人で散歩する30〜50代の男性をよく見かけました。静けさを求めているのか、ある程度の広さを求めているのか……。

品田 それは面白いですね。

山崎 公園を利用して良かったと感じた理由にも違いがあって、小さな公園に集う人の多くは「人との繋がりを感じられた」と答えたのに対して、在宅勤務者は「ストレスを発散できた」ことを評価している人が多かったんです。利用した場所も、利用してみた評価も、属性によって違いがあったのは興味深い結果でした。世界的に、「勤務者はみどりを利用する主体にはあまりならない」と言われてきたんですが、環境が変わればよく利用するし、かつ求めていることも違うことがわかりました。

 

みどりを媒介にできること

飯田 私はコロナ禍に、東京の農地に着目しました。東京は世界でも稀に見る農地の多い土地柄で、市街化区域では、徒歩500m圏内に農地があるエリアが84%ありました。緊急事態宣言期間に、身近な農地が暮らしにどう寄与できていたかを分析すると、市民農園や家庭菜園をしている人は、それらをしていない人に比べて、主観的健康感(健康状態を自ら評価した値)が高いという結果でした。公園を利用している人も、利用していない人に比べて同じように健康感が高かったんです。さらに、公園と市民農園では、圧倒的に市民農園を利用している人のほうが、より強く健康感を持っていました。人と人、生命とのかかわりが絶たれていた時期に、植物や土とのかかわりが心の癒しに繋がったのではないかと考えています。

山崎 農的な体験のほうが健康感が高いという結果は、同じみどりでも、土地の性質によって体験の質が変わるということの裏返しだと思います。自然の中でも「どういう体験ができる場所か」を考えることが大事ではないかと感じました。

佐藤 農的な環境ではなくても、たとえばみんなで花壇に花を植える、雑木林や樹林の手入れをするといったことで、そこに関係性が生まれます。みどりを媒介に、人が繋がる関係性や「場」をどうつくるかが大事ですよね。

山崎 その通りだと思います。人と人、人と自然のかかわりをいかに深くするかが、その人自身の満足度や居心地の良さに繋がっていくのだろうなと感じますね。

品田 コロナでそういう環境が得られなくなった時、つまり自然に対するアクセスがうまくいかなくなった時に、人はその代わりを求めます。農的活動や園芸などのほか、自然を回復させようとする行動として、ビオトープや屋上庭園も増えていますね。

佐藤 最近は屋上にビオトープや菜園を作りたいという相談も増えています。私たちの事務所の外にも水辺を作ったんですが、通りかかる方たちと豊かな会話が生まれるようになりました。ゴーヤカーテンを作っていた時は、差し上げたゴーヤで作った料理をお返しに持ってきてくださったり。そんなコミュニケーションが都会の中でできると素晴らしいなと思っています。

品田 そういう行動がコロナを契機に増えたことは一つの発見ですね。コロナも悪いことばかりではなかった。将来に向けて、都市のみどりをどうしていけばいいかということを、図らずもこの機会に学習したという点では良かったと思います。

佐藤 コロナ禍の初期には、「公園が密になってしまうから人が来てはいけない」という説もありました。でも欧米では、いち早く公園関係者がオンラインで意見交換をし、「こういう時こそ公園を閉鎖してはいけない」という意見で一致していたんです。公園をオープンにしてみんなの健康を維持すべきだ、と。日本の国交省も、ヨガやスポーツ、読書など、「公園で過ごすことが健康づくりに繋がる」という啓発を、医療関係者のコメントも交えてアピールしていました。都市のみどりには、可能性が大いにあると思います。花やみどりがどれだけ健康に寄与しているか、海外では様々なエビデンスを出していますが、日本でも都市のみどりの価値を高めていくために、データの裏付けが必要ですね。

 

コロナ禍で見えた東京の限界点

山崎 品田先生は、人間が自然を求める行動と人口密度の関係性を、とても早くから研究されてきました。動物が増加を続けると一定の密度で限界に達し、それ以上高密度化すると生存が困難になる限界点、品田先生が「K値」と呼ばれる飽和密度がありますが、この限界点は、閉鎖空間ではない都市ではなかなか見定められませんでした。日帰りで出かけるなど、一時的な流出が可能だからです。でもコロナ禍で行動制限された状況を題材にすれば、都市の飽和密度に一つの結論が出せるのではないかと考えました。特に自宅周辺に留まっていたと考えられる在宅勤務者を対象に、「東京から転出したいと思っているか」という住み替え意向の有無を尋ね、人口密度との関係を分析した結果、人口密度と脱東京意向の間には強い関係がありました。「これ以上増えると人間が住めない」飽和密度は、14,400人/㎢。これは、品田先生が先行のご研究で指摘された「公園の環境が悪化する」数値とも一致します。このラインに達するまで脱東京意向が強まり、その後横ばいが続いて、限界値をさらに超える26,900人/㎢という異常な過密状態を第二の限界点として、脱東京意向はもっと強まります。

品田 これはすごい、面白いですね!

山崎 この結果が導き出せたのも、品田先生のご研究があったからこそです。この結果はまだ分析途中の仮の値なので、これからさらに解析を加えていきたいと考えています。

佐藤 人間も自然の一部なんですね。自然との繋がりという意識は普段なくなりがちですが、危機的な状況になると自然を取り戻したい、自然を求めるんだなと改めて思います。

 

自然と触れ合う機会が減った都市の子ども

佐藤 今、狭山公園などで「0歳からの環境教育」をやっていますが、5歳くらいまで虫を捕ったことがないという子どもが、見つけた虫を全部潰してしまったりするんです。「死んでいる」と「命がある」との違いがわからない。でもレンジャーに教わり、他の子たちがそっと捕まえているのを見ているうちに、そういう子どもも、1時間もすれば生きたまま捕まえられるようになります。やはり自然と全く触れ合っていないというのは怖いことだなと。都市の中で自然に触れ合う場所は必須ですし、場所があるだけではなく、生きものや自然について、ちゃんと教えてくれる場が必要なんですよね。

山崎 都市の中で多くの人々が暮らし、さまざまな価値観や認識をつくりあげていく中で、豊かな生態系が身近にあるかどうかは大事なことだと思いますね。夫婦でよくそんな話をしています。

佐藤 お二人は子育てをしてみて何か気づいたことはありますか?

飯田 子どもの保育園を探す際に、保育園の近くに公園があるかどうかを調べると、都内で250mの徒歩圏内に街区公園がない保育施設は6割強に上りました。徒歩圏内に児童遊園サイズのオープンスペースすらないところも約3割あります。今は保育園が足りないので、規制緩和して園庭のないビル型施設も増えましたが、近くに遊び場すらない保育施設とい

うのは、子どもが育つ環境として大問題ではないかと思います。まだ分析途中ですが、寺社や農地や公開空き地といった民有地の一部を、子どもたちが使える場所として提供してもらうことで、そうした問題を緩和できる可能性があるのではないかなと。

品田 それは面白いですね!

佐藤 行政側は既存の緑地をどう整備していくかを考える際に、保育施設や教育機関との関連性にまではなかなか思い至りません。実際に子どもを育てる環境が現状でいいのかどうか、そうしたデータを示しながら提言することで、行政もハッと気づくことは多いと思います。

 

自然と人が一体化した都市

佐藤 最後に、都市のみどりの未来像についてはどのようにお考えですか。

飯田 パラオでは、自然はレクリエーションの対象というより、食べ物や木材など資源として捉えられています。日本も昔はそうでしたが、一次産業が都市から姿を消すにつれ、都市のみどりを資源とは考えなくなりました。農的活動を一例として、もう一度自然を「資源だからこそ必要」という見方に転換できたらと思います。自然を使った生産的な活動が増えていくと、都市の自然の意味も、人とのかかわり方も、変わっていくのではないかなと。里山を再生させる活動や、都心でも屋上菜園や小さな生態系を作る動きが出ていますし、そうしたことが当たり前になればいいですね。それと……個人的には、90歳を超えても好奇心を失わない、品田先生のような素敵な大人になりたいです!

山崎 私も全く同じで、二人の意見とさせてください(笑)。人と自然が深くかかわり合う都市社会になればと思っています。

品田 お二人のような若い世代の方々が素晴らしい研究をされているのは頼もしい限りです。私が願うのは、「自然と一体化した、生きものとしての人間らしい暮らしのできる都市」です。人間の利害だけで自然を利用するという意味ではなく、人間と自然は一体化しているものであって、生態系の中で生きものとしての人間がどう振る舞うべきかを、常に考える必要があると思いますね。

佐藤 都市は人間が暮らす場所なので、都市のみどりに関しても人間を中心に議論されがちです。でも品田先生がおっしゃるように、人間も自身が生きものの一部として体感できる社会を目指したいですね。そのためにも、身近に「みどり」が感じられて、その「みどり」にかかわりを持ち、「みどり」のある暮らしを楽しめる都市であることが理想です。「都市のみどり」を活かすさまざまな取り組みが広がることで、都市に住む私たちが忘れかけている、「人間も生態系の一員」という感覚が取り戻せるのではないでしょうか。今日は長い時間、ありがとうございました。

(構成・文=市川安紀)